時間は資源
「時間は資源」
2017年に亡くなった、日野原重明さんは、
「命とは時間の事」
と言っていましたが、全くもってその通りだと思います。
分かっていてもついつい生来の執念深い貧乏性が顔を出して
やってしまいがちなのが、
●目先の30分を惜しんで、先々の1週間を損する●
的な事です。
具体的に言うと、インフルエンザの予防接種や花粉症対策。
インフルの予防接種は今年もやりませんでしたが、下の子が
インフルBになったので、こりゃうつるわ・・・と思いました。
運よくうつりませんでしたが、仮にインフルになった場合、実質
一週間くらいは行動できません。
それが1000円程度の予防接種で回避できるなら格安も良い所です。
花粉症もしかりで、毎年毎年、
「つらいつらい」
「目が、鼻が~~~」
と言っていたら、ついにヨメにキレられて、
「うだうだ言うのは病院いってからにしろ!
何もせずに愚痴ばっか言うな!」
と怒られました。
全くもってその通りだと思います。
という事で今年は耳鼻科に行って薬を処方してもらいました。
かかった費用は1800円くらい。
時間は、どうでしょうね、1時間くらいですかね。
これで、どの程度の差が出るか見極めたいと思います。
時間をお金で買う
インフルや花粉といった、病気やアレルギー的な事もそうですが、
「時間」という視線で、予防的な行動を見た場合、それは
「時間をお金で買っている」
と僕は考えています。
その費用が出せないくらい高い場合は
「この時間を買えるお金が今の僕にはない」
と考えるようにしています。
これは、何も体調関係だけでなく、各種経験やビジネス上の
効率化という点でも基本は同じだと思います。
銀座の高級寿司を食べた時は、
「うわっ」
というくらいおいしかったですが、そういう経験(=時間)
をお金で買ったと思っています。
あるいは、実店舗でせどりをするのであれば、バーコードリーダーは
必須ですが、これも効率化できるツールを買うというのは、時間を買う
のとほぼ同義だと思います。
時間は平等ではない
「時間は誰にも一日24時間あって平等だ」
という言い方をたまに目にしますが、僕はそうは思いません。
「自分の好きに使える時間がどれだけあるか」
という視点で見れば分かると思います。
例えば、僕の友人は、かなりハードな会社に勤めていて、
朝の8:30から終電まで普通に会社にいます。
そういう人と、(あくまで例えばですが)地主で、土地の
あがりで生活している人では、自分の自由になる時間は
圧倒的に違いますよね?
仮に、前者が年収800万円で、後者が年収400万円でも、どちらが
豊かかというのは一概には言えないでしょう。
「豊かさ」というのをある種の「余裕」と考えるとなおさらです。
余裕のある時間を作るべく、日々うまく「時間を買っていこう」と
思いましたという、まあ分かったような分からないような話でした。
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